2015年2月より日本に帰国しています。
旅の間にお世話になった友人たちに日本を案内したり。
日本にいながらも相変わらず旅心地な日々を過ごしています。
旅日記はまだ続いていますので、たまに覗きにきてください(^_^)

2013年08月27日

珍事件に遭遇のポーランド最終日

ポーランド滞在最終日。
フライトは午後7時台なので半日クラクフ観光。
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ポーランド名物の芥子の実パンの屋台にて。

これは聖ペテロ&聖パウロ教会。
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教会内を見学し外に出ると
パトカーとお巡りさんたちに取り囲まれた1台の乗用車。
例の如く、好奇心旺盛な夫が覗きに行くと。。。

運転席で読書中の男性が、どうやら全裸らしい(;゚∀゚)

このあと彼はどうなるのか?
気になりつつもひとまずこの場を後にし
クラクフの見どころのひとつヴァヴェル城へ。
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ここ数日秋の気配のポーランドだったけど
この日はさらに風が冷たく感じた。
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城内は思いの外見どころ満載!
お天気が良かったらもっとのんびり過ごしたいところ。。。

お城から旧市街に戻ると
さっきのお騒がせ男性のところに
鍵開け屋さんのクルマも到着していた。

その後、近くのお店で昼食をとっている間中
事の顛末が気になってしょうがない夫が
店を抜け出して様子を見に行ったときには
すでに強制連行された後だった。。。

男性のクルマはオランダナンバー(ここはポーランド)。
ここまで来て、一体何がしたかったんだろう〜???

クラクフ散策の締めは甘党の私たちらしく
ポーランドの老舗チョコブランドWEDEL(ヴェーデル)のカフェで。
IMGP0665.JPG
手前のビターホットチョコの濃さがハンパない!!!
注)これは飲みものではありません!食べものです(笑)

クラクフからはLCCライアンエアー(RYANAIR)で
イタリア・ベルガモ空港へひとっ飛び。
半年ぶりのイタリアは
空港からカッフェ(エスプレッソ)の香りヾ(=^▽^=)ノ

午前0時、私たちの基地ブレーシャに無事到着〜♪

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2013年08月26日

クラクフのユダヤ人街にて

クラクフKrakówは巨大なユダヤ人街があることで有名だ。
今日はそこに行ってみることにした。

中世の頃からポーランドにはヨーロッパ各地の迫害から逃がれてきた
多くのユダヤ人が住んでおり、クラクフはその中でも
巨大なユダヤ人コミュニティがある都市だった。

ちなみに昨日行ったアウシュビッツがクラクフ近郊に作られた理由のひとつは、
クラクフに大勢のユダヤ人がいたためだ。
映画『シンドラーのリスト』の舞台もクラクフで、
オスカー・シンドラーの工場があったことでも知られている。

ユダヤ人街のあるのはカジミエシュKazimierz地区。
そこまで歩いていこうと思ったら、偶然街の市場を発見。👀
IMGP1456.JPG
寄り道してみた。

ここは完全に地元民のための市場。
IMGP1449.JPG
観光客がほとんどいない。✌

野菜、肉、パン、雑貨等、いろんなものが売ってたけど、
生のヒマワリが沢山売ってたのには驚いた。
IMGP1447.JPG
しかもデカい!
直径30cmは余裕であったよ〜〜〜😃

市場の後、カジミエシュ地区に到着。
ユダヤ人街の中には、シナゴーグが幾つもあった。
IMGP1462.JPG
全く読めないヘブライ文字。

このシナゴーグの屋根の上には、ダビデの星が掲げられてた。
IMGP1465.JPG
また、ユダヤ料理を出すレストランも沢山見かけた。

これは第二次世界大戦で犠牲になったユダヤ人の慰霊碑。
IMGP1458.JPG
クラクフにいた多くのユダヤ人が亡くなった。
アウシュビッツだけが悲劇の場所ではない。

これはカジミエシュ地区にあった市場。
ポーランド名物のザピエカンキZAPIEKANKIが売られてた。
ザピエカンキは細長い形のピザ(風)トースト。
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幾つもザピエカンキ屋があり、
客がいる店といない店の差がスゴかった。

食べてみたよ!
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へへへ〜〜〜〜大きいでしょ!
ピザトーストって言えばピザトーストなんだけど、
パンがちょっと違うんだな。
結構うまかったよ〜〜〜 (*゚∀゚)=3

これは街中にあったヨハネ・パウロ2世の銅像。
IMGP1477.JPG
クラクフはローマ法王だったヨハネ・パウロ2世の出身地。
だから街には彼の銅像や、縁の場所がいくつもある。

ヨハネ・パウロ2世はクラクフ近郊で生まれ育った。
恐らく、ここで起こった多くの悲劇を見たのだろう。
その後彼は世界平和の実現に尽力した。

彼の功績は大きく、世界に大きな影響を与えた。
しかし、戦争が地球上からなくなったわけではない。

世界平和を願っているのは彼だけではなく、
世界中の人々が永遠の平和を願っているのにもかかわらず、
今もどこかで戦争の炎が燃えている。

日本でも現在、憲法9条を変えようという動きがある。
本当にそれでいいのだろうか?
もう一度よく考えた方が良いと思う。

平和な世の中を作る為には何が必要で何がいらないのか。

そんなことを彼の像を見ながら思った。

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2013年08月25日

悲劇の場所アウシュビッツ

今滞在してるクラクフの近郊には世界的に有名な場所がある。
それはあのアウシュビッツ強制収容所Auschwitzだ。
今日はそこに行ってきた。

知っての通り、ここは多くのユダヤ人及びナチスに反抗する人々、
ソ連軍の捕虜等の強制労働及び大量虐殺が行われた場所。

正直言ってブログを書くのがつらい。
こんな気持ちは初めてだ。
でも、書く。書かなきゃいけないと思う。

アウシュビッツに行った今回の話、色んなことに関して書いたので
非常に長くなってしまったことを最初に言っておきたい。

そして...めちゃくちゃ長いけど、最後まで読んでほしい。


クラクフのバスターミナルからバスに乗り約1時間45分、
アウシュビッツのバス停に到着した。
収容所の見学はこの時期(5月〜10月)、
10時から15時まではガイドツアーに参加しなければならない。
それ以外の時間は個人で自由に見学できる。

ガイドツアーはポーランド語、英語、仏語、西語、独語、伊語があり、
オレたちはイタリア語のガイドツアーに参加することにした。

チケット売り場で希望する時間や言語を選択し入場券を買い、
ガイドツアーの開始を収容所の入り口で待った。
IMGP1371.jpg
意外と多くの見学者がいた。

まずは第一アウシュビッツ強制収容所(オシフィエンチム)へ。
入り口には有名な『ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)』の文字がある。
IMGP1374.jpg
でも実際は働いても自由になれず、多くの人々がここで殺された。

収容所内にある様々な施設を
ガイドのマルゲリータさんの説明を聞きながら回っていく。
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これは、どこからアウシュビッツへと連れてこられたのかが示されている地図。
IMGP1375.jpg
ヨーロッパ中から連行されているのがわかる。
場所によっては1000km以上離れてるとこもある。

収容所内にはナチスのやった凶行の証拠が幾つも展示されている。
IMGP1379.jpg
これはチクロンBという毒薬(毒ガスの原料)が入っていた缶。
IMGP1380.jpg
このチクロンBが、アウシュビッツだけで
(しかも1942年から1943年だけで!)20トンも使われた。

ここに連れてこられたユダヤ人のスーツケース。
IMGP1383.JPG
アウシュビッツに着いた時、彼らの所持品は全てナチスに奪われた。
スーツケースの他にも彼らの靴や眼鏡などが展示してあった。

展示物の中で特にショックだったのが、部屋いっぱいの彼らの頭髪。
ソ連軍がアウシュビッツに到着した時、
彼らは収容所の倉庫でナチスが置いていった頭髪の入った袋を大量に見つけた。
なんと7トンもの頭髪があったらしい。

いったい何人の髪の毛を切れば7トンの重さになるんだ?
ここでどれだけの人が殺されたんだ?

収容所内にある収容者用の住居(写真左)と
その周囲に張り巡らされた脱走防止用の有刺鉄線との壁。
IMGP1393.JPG
この有刺鉄線には高圧電流が流されていた。
あまりに厳しくつらいここでの生活や労働に耐えきれず、
自ら有刺鉄線に飛び込み命を絶つ人もいたのだそうだ。

有刺鉄線と壁、そして見張り台。
IMGP1394.JPG
監視用の見張り台が至る所にある。
そこから監視をしていたドイツ兵たちは、ここで苦しんでる人々を見て
何を感じ何を思っていたのだろうか。

収容者用の住居。
通常なら40〜50人程度を収容する部屋に200人も入れられた。
IMGP1389.JPG
この3段ベッドのそれぞれの段に2人が寝ていた。
腐った藁の上で、穴の開いたボロボロの汚い毛布とともに。
夜、ドイツ兵はこれらの住居とは別の場所で寝泊まりしていた。
理由は、あまりにもひどい悪臭だったから。

銃殺刑が執行されてた場所。
IMGP1390.JPG
毒ガスで殺された人も多いが銃殺された人の数も計り知れない。

ガス室。
IMGP1405.JPG
ここでシャワーを浴びろと言われ、人々は部屋の中に入れられた。

そして中では、シャワーではなく毒ガスを浴びせられた。むごい。惨すぎる。
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ここの写真はさすがに撮ろうかどうか迷ったけど、
一人でも多くの人に見てもらいたいから一大決心をして撮影した。
カメラを持つ手が震えた。

毒ガスが出てくる部屋の隣には、死体を焼く為の焼却炉があった。
IMGP1408.JPG
死体は焼く前に金歯や指輪などが剥ぎ取られ、頭髪も刈られた。
金歯は金の延べ棒にし、指輪などとともにドイツ本国に送られた。
頭髪もドイツなどの生地工場に送られ、布地の原料になった。
また、死体処理をさせられていたのも同じくアウシュビッツの囚人達だった。

続いて第二アウシュビッツ強制収容所(ビルケナウ)へ。
IMGP1412.JPG
鉄道の線路が収容所の内部に引かれているのがわかる。
この門の先でユダヤ人は列車から降ろされ、
働ける者(比較的健康な大人)と働けない者(子ども、老人、病人など)、
人体実験の検体に振り分けられた。
働けない者はすぐにガス室へと送られ殺された。
人体実験に関しては、とても文章にはできないようなことが日常的に行われた。

ユダヤ人はこのような窓がない貨車に約80人もの人が詰め込まれ、
ほとんど食事も与えられずにヨーロッパ各地から移送された。
IMGP1419.JPG
移送には数日から10日以上もかかり、移送の間に亡くなった人も当然いた。

収容所の広大な敷地。
囚人達の住居(といっても、とても人が暮らせる場所ではない)が連なる。
あまりにも広すぎて端がよく見えない。
一体どれだけの人が収容されてたのだろう。
IMGP1432.JPG
冬はマイナス20度を下回るこの土地で、
暖房もなく隙間風が吹くような部屋で寝起きし、
ろくな食事や衣類も与えられずに、10時間以上の労働が永遠に続く。
その苦しさは想像を絶するものだったろう。


そしてこの苦痛が終わるのは…そう、死ぬ時。


アウシュビッツにおいて、無事に解放された人の数はたったの約7500人。
ここで亡くなったのは150万人と言われているが、実際はわからない。
当時の記録がほとんどないからだ。

ドイツ軍は1944年の末から翌年の1月にかけ、ソ連軍の侵攻に備えて
収容所内のいくつかの施設(ガス室など)を破壊し重要書類などを焼却した。
IMGP1425.JPG
↑これはドイツ軍に破壊された建物。
彼らはここで行われた悪行の証拠隠滅をはかったわけだ。

そしてその時ドイツ軍は、アウシュビッツの囚人達を
さらに利用するため、ドイツにある他の収容所に移送させようとした。
利用できない(働けない)と判断された人々は、ことごとく処刑された。

この時アウシュビッツから移動させされたユダヤ人の中に
『アンネの日記』で有名なアンネ・フランクもいた。
彼女は移送先の強制収容所で亡くなった。

1945年1月27日、ドイツ軍が囚人達を皆殺しにする前に
ソ連軍がアウシュビッツに到着したため、約7500人は生き残った。
アンネ・フランクの父親は生存者の一人。
だがフランク一家の中で生き残ることができたのは、彼だけだ。

ガイドのマルゲリータさんが
「ここで起こったことは戦争じゃない。殺人だ。」って言ってた。
同感だ。ここで起こったことは、一方的な、ただの人殺しだ。

さっきも書いたけど、
ドイツ兵はここの囚人達を見て何を感じ何を思ったのだろうか。

人を殺して、人が殺されるのを見て、
何も感じなかったのか?
ただ命令に従っただけなのか?
何故そんなことが出来たのか?

彼らの気持ちを想像できないし、彼らの行動は全く理解できないが、
ここでとんでもない悲劇が起こったことだけは事実だ。


ガイドツアーの終わりに、マルゲリータさんにいろいろ聞いてみた。
まずは、ここにいたドイツ兵たちのことについて質問した。
彼らは戦後どうなったのか?

アウシュビッツの所長だったヘスという男は戦後
別人になりすましていたが、1946年に逮捕され裁判にかけられ、
その後死刑になったことは有名だからオレも知ってた。
しかし6000人近くいたという、他のドイツ兵はどうなったのか。

マルゲリータさんによると、
ドイツ兵の多くはユダヤ人から取り上げた金品を使い
自分の新たな身分証明書やパスポート(もちろん偽造)を手に入れ、
整形をして顔を変え、名前や経歴を変え、
南米(特にアルゼンチン)などに逃げたのだそうだ。

確かにアルゼンチンに行った時、ドイツ人移民が多い村っていうのがあり、
その村に訪れたことがあった。
もちろんそこにいたドイツ人が全員アウシュビッツの関係者って
わけじゃないだろうけど、複雑な気持ちになった。

そして、元所長のヘスのように捕まったドイツ兵もいたが、
最後まで逃げ切った者も大勢いるらしい。
その話を聞いて、悔しさと情けない気持ちがこみ上げてきた。

戦時中、上官の命令は絶対だったろうし、
そうせざるを得なかった状況もあっただろう。
だけど戦後に、逃亡先でのうのうと暮らしていた人間が
沢山いたかと思うと、同じ人間として悲しくなった。
彼らは日々何を考え生きていたのだろうか。

次に質問したのは、ポーランドの学校等ではどのように
アウシュビッツのことが伝えられてきたのか?ということだった。

答えは「今は学校で教えているけど、以前は全く教えなかった。」だった。
そういう回答を想像してはいたものの、その通り過ぎて寒気がした。

ポーランドは第二次世界大戦後、
ソ連の指導のもと共産主義国家として歴史を歩んできた。

確かにアウシュビッツでは多くのポーランド人も殺された。
でも共産主義の国ポーランド(そしてその背後にいるソ連)としては
アウシュビッツのこと自体は秘密にしておきたかったんだろう。
ポーランドもソ連も、反対派を処分するってことで言えば
ナチスドイツと大して変わんないことをやってたからね。

マルゲリータさんは家族から
アウシュビッツの事実を聞いていたから知っていた。
しかし、公にそのことを話すことは出来なかったのだそうだ。

アウシュビッツのことを知ってる人は
きっとそれなりにいたんだろうと思われるけど、
それを口にしたら後が怖いから皆何も言えなかったんじゃなかろうか。

情報の統制や教育を使った国民のコントロールがまかり通る状態って恐ろしい。
昔の日本も同じことやってたけど、
現在でも同じようなことが世界のいろんな場所であるんじゃないだろうか。


最後に、ガイドツアーの中でマルゲリータさんが言ってたことで
特に印象に残ったことを紹介したい。

本や写真、テレビやインターネットで、いろんなことを知ることができる。
アウシュビッツのことも本や写真等で見たり読んだりして知ることは可能だ。
けれど、現地に来て実際に見て、歴史に触れることとは違う。
自分の体で直接歴史に触れることが重要なんだ。
触れなければ感じることができないことがあるから...

本当にその通りだと思う。
アウシュビッツに関して知ってることはたくさんあった。
けれどそれは、あくまで本や写真の上でのこと。

例えば、ここにユダヤ人の髪の毛が残されてたこともオレは知っていた。
でも、その現物を自分の目で見た時、言葉にできない感覚があった。

涙がでた。

その時の気持ちはうまく言葉にできないけれど、
言葉で表現できることは今回書けるだけ書いてみた。
伝えなくちゃいけないと思ったから。


ここまで読んでくれたみんなへ。

アウシュビッツを忘れないでほしい。
そして、大変だろうけど誰かに伝えてほしい。

こんなに悲しいことがたったの数十年前に起こったことを。

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2013年08月24日

クラクフ旧市街とポーランド民族フェスティバル

昨日のヴィエリチカ岩塩坑と同じく
ここクラクフの旧市街(歴史地区)もまた
12件ある世界遺産登録第一号のうちのひとつ。

旧市街への入口にある城壁とその砦、バルバカン。
IMGP0476.JPG
いかにも中世な雰囲気(^_^)

旧市街のメイン広場は予想外に広々とした明るい空間。
IMGP0486.JPG
それもそのはず、中世から残る広場としては欧州一の広さだそう。
IMGP0493.JPG
広場に面して建つ聖マリア教会。
教会の塔から毎正時に鳴らされるラッパの音は旋律の途中で突然止まる。
それはその昔ラッパを鳴らしていたまさにそのとき
タタール人の襲撃により倒れたラッパ手のエピソードに由来するという。

メイン広場を抜けると。。。なにかのイベント?
IMGP0545.JPG

ろくろを廻す職人さんや民芸品の数々。。。
IMGP0503.JPG

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どうやらポーランド各地の民族が集まって
その伝統文化を紹介するお祭りが開かれているようだ。

ステージ上では歌や踊りも披露されている。
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いきなり腕立て伏せのような踊り。
オレはこんなに強いぜ〜!って女子にアピールなのかな?

私の目を釘付けにしたおばさん。
IMGP0537.JPG
彼女が編んでいるのはタティング(タッチング)レースなんだけど
その作品のレベルが国宝級!!!👀

タティングレースは他のブースにも並んでいたけれど
おばさんの作品とは雲泥の差。
博物館以外でこんなレベルのタティングを見たのは初めて!
もう大興奮(((o(*゚▽゚*)o)))

よ〜くみるとおばさんの襟にもタティングレースが施されているよ♪

ちなみに。。。
IMGP0514.JPG
こっちのヒトは例の如く、美味しい匂いのする先に釘付けね(笑)

タティングだけでなくかぎ針編み(クロッシェ)やボビンレースも!
IMGP0542.JPG
こちらのかぎ針編みのおばさんにも驚愕 Σ( ̄□ ̄;)

なんて針の持ち方なのっ?!それでいてめちゃめちゃ早い!!!
模様はもちろん、ひとつひとつの編み目の美しさにもうっとり♪

お土産としてのレース編はいままで欧州中で目にしてきたけれど
一応自分でも編む身の私としては、ここまで惹き付けられるのは稀なこと。
その稀がここだけでどんだけあるんですかー?!って状態。

ポーランドってこんなレース大国だったんだーw(゚0 ゚)w

IMGP0526.JPG
わー!!これって昔のキャベツ千切り器?
ザウワークラウト用かな〜(^o^)とキャッキャッしていたら…

どこから来たの?東京?
じゃ、伝統料理も味わってみる?

民族衣装の男性のひとりに誘われるまま
このお鍋で炊かれていたスープ、
IMGP0529.JPG

IMGP0528.JPG
そして森のハチミツまでご馳走になりました。

日露戦争時にロシア兵の捕虜として日本にやってきたポーランド人が
日本人に手厚い待遇を受けたことが語り継がれ
ポーランドには親日家が多いという話があるとか。

だからなのか、はっきりとはわからないけど
ポーランドでは好意的に接してもらえることが多いなか
今日も数いる観光客の中で
なぜか私たちだけがこんな歓待を受けてしまった。

アンジェさん、酋長さんありがとう、dziękuję(ジェンクイェ)♪
IMGP1308.JPG
ちなみに、彼らの衣装。
総フエルト製のズボンに毛糸の靴下!暑くないのかなぁ???

さっきのキャベツが舞台上でこんなことに。
IMGP0533.JPG
昔、こうやって漬けてましたーって実演みたいだけど
裸足でフミフミされたキャベツを直食いさせられている男性がいたり…
なかなか皆の笑いを誘っていたステージでした。

ホントはもっと街散策しようと思ってたんだけど
この会場のあまりの楽しさにすっかり魅了されちゃいました(^ ^)

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2013年08月23日

まるで地底都市!ヴィエリチカ岩塩坑

ユネスコ世界遺産第一号は全部で12件。
そのうちのひとつがクラクフ郊外にあるヴィエリチカ岩塩坑。

ちなみに12件の中にはクラクフ歴史地区も含まれる。
クラクフとその郊外だけで
世界遺産登録一号がふたつもあるなんて知らなかった。

IMGP0308.JPG
岩塩坑は、夏休みということもあってかかなりの混雑ぶり。
見学はガイド付ツアーのみなので言語別に並ぶのだけど
てっきり各国からの観光客がメインかと思っていたのが
ポーランド人が予想以上に多かったのが意外だった。

その深さ300メートル、全長約250キロ、9層にも及ぶ岩塩坑。
見学のスタート地点に降りるまでの階段は53個もの踊り場があった。
(15〜20階建分は降りたかな?)

IMGP0316.JPG
木材で支えれている部分もあるけれど
坑内は上下左右すべて塩で覆われている。
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こうした空間が山のようにあるけれど周りはすべて塩!
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結晶になっているところも。

かつての坑夫たちの採掘の様子を再現したものや
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ポーランドの偉人たちの銅像ならぬ塩像があったり。
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この方もポーランドを代表する歴史的人物のひとり、コペルニクス。
彼もこの岩塩坑を訪れたことがあるそうだ。

なかでも圧巻はここ。
IMGP0365.JPG
この大広間のような聖キンガ礼拝堂。
壁のレリーフや彫刻だけでなくシャンデリアまで塩だよ!

ピッカピカの床ももちろん塩。
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最後の晩餐も塩。
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これらの作品は坑夫たちの手によるものというから感心する。

なんの関係があるのかわからないが
IMGP0409.JPG
通路脇に唐突に怪獣が潜んでいた(隠れキャラ?)。
IMGP0433.JPG
どこまでも続く坑道。。。といってもこれは氷山の一角(;゚∀゚)

見学前半は岩塩採掘場としての坑道見学というよりも
坑夫たちの芸術作品鑑賞コース的印象。

ここまでで地上に戻るか、さらに続く博物館を見学するか選択できる。
すでに約2時間も経過しているのもあり、ここで終了の人も多いけど
欲張りな私たちはもちろん続きを見学 (^o^)v

ここから先はより深い層に入って
岩塩坑の歴史により詳しく触れていく。

IMGP0463.JPG
前半でも見てきたエレベータの仕掛け。
ここで見るものは一層規模が大きくなってきた!

後半のクライマックス。
この空間はこれまで見た中でもより高く(深く)
そのあまりの規模の大きさに圧倒される。
IMGP0468.JPG
祈りの歌を歌いながら坑夫が上り下りしていた様子が再現されている。

じつは後半の博物館見学
わけあって私たち二人とガイドさんのみのプライベートツアー。
ここまで3人だけでひっそりと静まる坑道を歩いてきたあとの
この坑夫たちのシーンには感動を覚えた。

たった二人のためにガイドをしてくれた男性は現在69歳。
彼はこの岩塩坑が現役稼働していた当時の数少ない生き証人だ。
そんな貴重な声を聞かせてもらえたのも有り難かった。

見学の最後はこの一枚の絵。
IMGP0472.JPG
坑内に掲げられた絵の中でもっとも古いという絵には
聖人に手を引かれた子ども・・・

なぜここで子ども???

真っ暗闇で幼子にかえったような心細さを感じている
坑夫の心情を表したものだそう。

坑内に残る数々の礼拝堂や祈りの対象となるモチーフは
単なる坑夫の手慰みではなかったんだ。。。。
700年というこの岩塩坑の歴史の重さを噛み締めた。

最後に…本日の豆知識。
古代から塩は価値あるものとして
物品と交換されるお金のように扱われてきました。
その為お金にまつわる言葉には塩が語源のものがいくつか。

日本に馴染みのあるところでサラリーマンの「サラリー」。
ルーツは塩がお給料代わりに支払われてた古代ローマに遡るとか。

イタリア語でお給料の意のSALARIOや
お金そのものを表すSOLDIもその仲間。

さらにイタリア語には、値段が高い!という意味で使われる
「PREZZO SALATO」直訳すると「塩っぱい値段」という表現があり
なんで「塩っぱい」なんだろう?
値段が高いとキッツイわ〜みたいな感じ?かと思っていたけど
これも塩(SALE)が語源だったんだって (´・∀・`)

〜ヴィエリチカ岩塩坑観光情報〜
アクセスはクラクフ中央駅前始発の304番の市バスが便利。
切符はバス停前の券売機にて。
suburban/double journey(郊外/往復)7.6zl(ズローティ)
片道は4zlなので往復がお得!

寒い寒いと聞いていた坑内だけど
前半ルートは人も多いためかそうでもなかった。
むしろ、それなりの距離を歩くこともあって
暑くなって途中で上着を脱いだくらい。。。
でも、後半は一転して激寒!!!

個人的には後半の博物館がより興味深かったです。
時間&体力のある人はぜひ参加をオススメします♪

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