2015年2月より日本に帰国しています。
旅の間にお世話になった友人たちに日本を案内したり。
日本にいながらも相変わらず旅心地な日々を過ごしています。
旅日記はまだ続いていますので、たまに覗きにきてください(^_^)


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2014年12月12日

分断された首都 その2

Cyprusキプロスの首都Nicosiaニコシアは、
世界でも類を見ない分断された首都だ。

ちなみに分断されているのは首都だけではなく、
実はキプロスという国自体が二つに別れているんだよね。

そして...
キプロスの北側にはトルコ系、
南側はギリシャ系の人々が住んでいる。

トルコ系の人々が住んでいる
北キプロス側のモスクをよく見ると、
国旗が2つ掲げられてる。
IMGP16522.jpg
赤地に白で月と星が描かれているのはトルコの国旗で、
白地に赤い月と星のデザインは北キプロスの国旗。

北キプロスにとってトルコは特別な国だから、
こんな風に国旗が掲げられているんだよね。
IMGP16512.JPG
なぜならトルコは、
北キプロスを国家と認めている唯一の国だからだ。

首都ニコシアの北側でレストランに入れば、
美味しいトルコ料理が食べられる。
IMGP1670.jpg
これはトルコならどこでも食べられる
伝統的な料理ケバブ。
ピラフも添えられてて、正にトルコ料理!って感じだ。

ところで...
このレストランで昼飯を食べていた時、
お店の人にトルコ語で挨拶などをしてみた。

しかし、なんの反応もなかった。
これには少しビックリしたね。
通常トルコでオレたちがトルコ語を使うようなもんなら、
大抵トルコ人は喜ぶし、
なぜトルコ語が話せるの?って不思議がられたりする。

でも、(偶然かもしれないが)ニコシアの北側では
全くなんの反応もなかった。
逆に、外国人であるオレたちとトルコ語を話すことに
ためらいやマイナスの感情があるようにさえ感じた。

なぜだろう?
北キプロスの人々って
トルコ系の住民が多いんじゃなかったっけ?
自分たちの言語を何故積極的に使おうとしないんだろう?

真相はわからない。

でも、ニコシアの北側から南側に戻ってきた後、
現地に住むキプロス人の友達のから話を聞いたことで
少し謎が解けた気がした。

その友達の名前はアレクシア。
IMGP1688.jpg
彼女は自分たちにパフォスの家を貸してくれている方。
普段はパフォスに住んでいるのだが、
今はニコシアに用事があるためここにいる。

それはさておき、
分断されているニコシアおよびキプロスのついて
少し質問してみた。

オレたち:
アレクシアはギリシャ系の人だから
南側に住んでいるわけだけど、
ニコシアの北側(北キプロス)には行ったりするの?

アレクシア:
基本的には行かないわ。
行こうと思えば行けるけど、
今はもうあまり北側には行きたくないの。

オレたち:
どうして?

アレクシア:
私は紛争が起こる前のニコシアを知ってるの。
紛争が勃発した時、
ギリシャ系の住民は北側に住んでいられなくなってしまい
着の身着のままで家を出て南側に逃げたのよ。
だから北側にはギリシャ系の人たちが住んでいた建物が
逃げ出した当時のまま残っていて、
それを見るのが辛いの。
あなたたちもニコシアの北側にいた時、
そういう状態の建物をいくつも見たでしょ?

オレたち:
うん、確かにそういう
人の気配のない店や家を何軒も見かけたよ。
あれはギリシャ系の人々が住んでいた家だったんだね。

アレクシア:
ニコシアの北側には、
仲の良かった友達や親戚の家があったの。
だけど今はそこに誰もいないし、
そのうちの何人かはどこにいるのか、
生きているのかどうかもわからない。
だからもう北側には行きたくないのよね...
この気持ち、わかる?


この時の写真はアレクシアから
ニコシアの話を聞く前だったから
彼女にも笑顔があるけど、
話をしている昔のことを話している間はずっと
とてもとても悲しげな表情だった。


アレクシアから聞いたキプロスの紛争の話は
色々とショックだった。

多分そういった経験をした人は、
キプロスに沢山いるだろう。
それはアレクシアのようなギリシャ系の人に
限った話じゃなくて
トルコ系の人にも山ほどいるだろう。

彼らの心の中に残る悲しい記憶。
たとえ分断が終わり、
南北の行き来が自由にできるようなったとしても、
あの頃にはもう戻れない。

ギリシャ系の人々もトルコ系の人々も、
多くの人はおそらく争いたくなんかなかっただろう。

ニコシアの北側で見かけたたトルコ系の人々が
オレたちに対してトルコ語を使うことを
躊躇しているように見えたのは、
トルコ系であるがゆえに憎悪の対象になってしまうことを
恐れていてたからではないだろうか。

キプロスに住む人々は紛争の経験から、
ギリシャ系トルコ系を問わず
両者ともに心に大きな傷を負ってしまったのだろう。




では何故、争いは起こってしまったのか。

キプロスは元々イギリスの植民地だったのだが、
独立後にギリシャ系住民とトルコ系住民との間で
対立が起きて内戦状態になり、
国は2つに分かれてしまった。

ギリシャ系住民とトルコ系住民の双方に言い分があり、
どちらも正しいしどちらも悪くはない。
一般的に、戦争や内戦、紛争等の原因は
当事者以外の国にあることが多い。

ベトナム戦争やコソボ紛争などがいい例だよね。

だからギリシャ系住民もトルコ系住民も、
どちらも被害者なような気がする。
せつないし、とても悲しい気持ちになる。

オレたち人類は
こういう悲劇を繰り返してはいけないし、
繰り返さないためにも
事実を多くの人に伝えていくべきなのではないだろうか。






だからオレは、自分が見たことを
ずっと伝え続けていきたい。
それが、事実を知った人の務めだと思うから。
オレは小さな人間だけど、
戦争や紛争を止める力につながると信じてるから。






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分断された首都

今日はCyprusキプロスの首都である
Nicosiaニコシアにやって来た。

ちなみに...
日本では一般的にニコシアと呼ばれているが、
これは英語での呼び名であって地元で話されている
ギリシャ語ではΛευκωσίαレフコシアと呼ばれる。

そしてこのニコシアは、実はちょっと特別な首都なのだ。
いや、ちょっとどころじゃないな。
世界で唯一の首都だ。

その理由は、首都の中心付近にある
この通りの先にあるものを見ればわかる。
IMGP1636.jpg
何だかわかるかな?

通りの先にあるものはパスポートコントロール。
IMGP1640.jpg
そう、ここは国境なんだ。

なぜ首都の中に国境があるのか...?
それはここニコシアの北側は別の国だから。
なんとニコシアは、
世界に一つしかない分断された首都なんだよね。

これは街中で見つけた看板。
IMGP1638.JPG
THE LAST DIVIDED CAPITAL
最後の分断された首都って書いてある。

これはニコシアの地図。
IMGP1642.JPG
ニコシアは周囲を城壁で囲んだ典型的な城郭都市。
古代や中世の都市に良くあるタイプなんだけど、
外敵からの攻撃を防ぐために
街の外側をぐるっと城壁やお堀で囲んだ都市だ。

逆に言えば、
城壁の内側はみんな仲間というか味方なワケだ。

でも...
現代のニコシアは街の中心に国境ゲートがあり、
そこで入出国の手続きをしなければならない。
ようするに、
一つの街の中に二つの国が存在するってことなんだ。

さらに言えば、
キプロスは北側と南側に分かれてて、
行き来を自由にはできないんだよね。

北側にはトルコ系、
南側にはギリシャ系の人々が住んでいる。

北側と南側で分断されたキプロス。
一時期は内戦状態だったキプロス。
北側にも南側にも言い分があり、
どっちが正しいとかって簡単には言えない。

しかし、争いの原因はともかく、
オレたちは南側から北側に入ってみたかった。
こんな場所は他にはないのだから。

ニコシアの北側、北キプロスの領土に入ってすぐ、
イスラム教のモスクが見えてきた。
IMGP16522.jpg
モスクはイスラム教徒にとってとても重要なところだ。
多分、社会の時間に習ったと思うけど、
イスラム教の信者は一日5回お祈りをする。

モスクはその祈りをする重要な場所なのだ。
IMGP16572.jpg
これはモスクの入り口にある手や足を清めるための洗い場。

清め方の説明。
IMGP16582.JPG
神社の手水舎みたいに、ちゃんと順番(作法?)があるんだね。

モスクは土足厳禁。
IMGP16562.jpg
ここで靴を脱いでモスクの中に入る。

中は絨毯が敷かれている。
IMGP16592.JPG
ところで...
この写真で何かに気付く人がいるんじゃないかな?

このモスクの建物、
実はキリスト教の教会を改装したものなんだよね。

建物の外側をよく見てほしい。
IMGP1666.jpg
モスク特有の尖塔(青い矢印)があるけど、
窓(赤い矢印)の形はキリスト教の教会や
大聖堂とかによくある形でしょ?

この場所がいつキリスト教会から
イスラム教のモスクになったのかは
さすがにわからない。

確実にわかることは、
以前ここ(ニコシアの北側)にはキリスト教徒である
ギリシャ系の人々がいたから
キリスト教の教会があったということだ。

そして、今ここにはギリシャ系の人々が住んでおらず、
イスラム教徒であるトルコ系の人々がいる。

現在キリスト教の教会はモスクとして使われ、
北側にいたギリシャ系の住民は
南側に脱出した(逃げざるをえなかった)ということだ。

でも逆に、南側ではどうなんだろう。
南側に住んでいたトルコ系の住民もいたはずだよね?
その人たちは...?


それはまた次回に!!





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